2011/04/09

修了証を貰って

この国のいわゆる一般的な「ふつうの人」は、既に「幸せ」に充足しているので、更に与える必要もない。
ただ、増幅させられる欲望を満たすために、本来求めているかどうかすらもわからないものを、「みんなやっているから」という理由で、求め続ける。
求めているものが幻想だと気づいて幸せが虚しさになることを恐れながら。

私が出会う幸せな家庭に生まれ育った人たちの多くは、不幸を思い描いたり共感する想像力が無い。
それ故の残酷さがある。
もちろん、彼らは優しそうに振る舞うことに関しては落ち度が無いが、所詮、共感して相手の目線を知ることは難しい。それには訓練が要る。

例えば若年ホームレスの増加に関して、多くの人がそのことを知り、気にかけるようになったなら、世の中は変わるかもしれないが、実際、父母に大事に育てられ、仲睦まじい幸せな家庭で、何不自由無く生まれ育った人ほど、この問題を他人事にしてしまう。
彼らは、自分はそんなどん底の不幸を知らなくてよかったと、他人の不幸に対して、結局「上から目線」で、「不幸は伝染する」などと、近づこうともしない。

何が「つながり」「やさしさ」「思いやり」か。
旅行の後に、訓練の修了証を取りに行った時()、私はしばし、先生と語り合った。(

とにかく、語っても、語りかけても、伝わらないのだ、響かないのだ、と百戦錬磨の経験豊富な先生と、同じ思いを共有した。
高い就学率と高い識字率を誇る国の人々が、何事においても知らぬ存ぜぬというのは、ただの無責任だろう。
この長年培われた土壌をどうにかするのは、一朝一夕で叶うことではない。

日本は終わるよ。もうすぐ終わるよ。

そう言って、私と先生は高らかに笑った。
その諦めと覚悟を基盤にしなければ、前向きな思いも行動も生まれないと、学校でその思いを分かち合える人に出会えたのは、私にとって幸運だった。