2011/04/21

新聞の一面が社説だった日

『神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの闘い~』(フジテレビ

家にテレビが無い()ので、昨年こんなドラマが放送されたことも知らなかったのだが、TUTAYAの準新作コーナーに並べられていた。

阪神淡路大震災のとき、私の家は、神戸市の隣の三木市にあった。
家でとっていた新聞が神戸新聞だったため、震災直後に配達された新聞が「京都新聞」だったことは、とてもよく覚えている。

神戸新聞が発刊できないから、京都新聞が神戸新聞の後方援護をやったんだ、ふーん。京都新聞、イキなことをするねぇ、と。

その時、神戸新聞に何が起こったのか、この度改めてDVDを借りて観ながら、その時のことを思い出していた。
ある日、新聞の一面に社説があって、「一面からなぜ社説!?」と、思ったときのことも思い出した。
その時の社説が、ネットでも読める。

1995年1月20日 神戸新聞 朝刊1面

「被災者になってわかったこと」

あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。…(※全文→震災15年ブログ|神戸新聞


1995年、震災前まで流れていた河合奈保子のポートピアのCMソングが、震災後ぴたりと、全く流れなくなった。
「KOBEアーバンリゾートシティ」が、一転して「We love KOBE がんばろや」になった。

最近、自宅近所の某ショッピングモールが「がんばろう日本」とキャッチフレーズを大きく貼りだしていたが、店側に苦情が届いたのか、昨日行くと、「がんばろう日本」は撤収されており、その代わりに「母の日」を大きく打ち出して、「がんばろう日本」の文字は「母の日」の下に収まっていた。

「頑張ろう」とか「頑張れ」などの言葉は、何かと弊害がある。被災者と同じ目線の人が放つならともかく、今必死な人の傍らではしゃいで「上から」これを放つと、必死な人をこれほど無駄にイライラさせる言葉は無い。

とはいえ、何をしていいかわからないと、オロオロした挙げ句、「結局、自分たちにはぶっちゃけ関係ないよね」と、相変わらずの楽しい日々を過ごす。

「自粛」ではなく、被災地のことを「気にかける」とか「心に留める」という発想はなぜか出てこない、この「思いやりって、よくわかんない」無神経も、人の心の貧しさの指標だと割り切ることにした、今日この頃である。