2011/04/22

カエルをご馳走になった

隣のフェルナンド(仮名)に、約束のカエルをご馳走になった。()白身魚と鶏肉のあいのこみたいな食感で、美味しかった。冬眠から覚めて出てきたカエルを金曜日に捕まえたらしい。若い頃はアマゾンで川遊びをしていたらしいから、こういうことは朝飯前なのだと。

↓はブラジルの釣り番組らしい。淡水魚で他の魚を食い荒らす有害な魚でも、ブラックバスよりトゥクナレは断然美味い、と言っていた。ただ、トゥクナレは暖かいところの魚だから、日本には棲めないだろうと。


その次の日は、お手製の「ぼらの塩辛」と白ゴハンに、福井の海で釣ってきたという、大きな真鯛の塩焼きをご馳走になった。
カエル肉もそこそこいい値段で売られるものらしく、二日続けて、私はかなり贅沢なものを食べた。

貧しい中で育ってきたというフェルナンドは、何でも自分で作るのだが、こういった調理法や塩辛など発酵食品の作り方は、祖父母と父母から伝え聞いて知っているのだという。
だから彼はある意味、今の日本人よりも日本人的である。

「戦争のとき、日本、ブラジルの写真いっぱい貼って、ブラジルいいとこよ~、こんないいとこよ~、と宣伝して、ボクのおとうさん、それでブラジル行った。ブラジル行って、でも、日本人、ラジオやニュース、取りあげられたね。なぜかというたら、日本人、本当のこと知ったら、がっかりする思たからね。ブラジル行った日本人、日本、戦争に勝ってると思ていたね。そして戦争終わったと聞いた、日本が勝ったからブラジルの日本人、日本に帰ろうと、ブラジルの土地を売って帰ろうとしたね。でも、帰るためにブラジルの港行ったら、「ちょっと待った」、ブラジルの港の人が言ったね。日本は戦争負けた、とね。でも、日本に帰ろうとした日本人、もうブラジルの土地売ったあとね。ブラジルの日本人にね、安くで土地を売ったあとね。日本人どうしでだましあいしていたね。ボクのおとうさん、ウソ言う人間はダメな人間と、言っていたね。ボクもそう思うね」…


地震のあった後、数日して、フェルナンドの部屋が何だか騒がしかった。きっと彼もブラジルへ帰るのだろう、と思っていたら、そうではなく、東北から避難してきたブラジル人の家族が、一時彼の部屋に身を寄せていたのだという。
何でもその家族は、「日本のテレビが言っていることと、外国のテレビが言っていることが違う」と、不安に思って逃げてきたとか。

「地震のとき、ちょとウルサクして、ごめんね。今あやまるけどね」

と、色々とご馳走になっている時にフェルナンドが言った。

私は彼に食事のお礼にお返しできるような品は何も持っていないが、先頃ミシンショー()で入手したパンフレット類を見せると、喜んで真剣に見入っていた。特にミシンのアタッチメント類と、ブラザーのコンピューターミシンと、無縫製のレーザーミシンに興味を示していた。
フェルナンドは日本に来る前、ブラジルで縫製工場を営んでいた()。「MADE IN CHNA」が市場に大量に出回るようになったお陰で、彼は工場をやめざるを得なくなり、そうして日本に出稼ぎに来た。彼の奥さんはブラジルで、ラグジュアリーブランドの縫製に携わっているとか。
そんな彼に私が作ったものを見てもらう、その目は相当厳しい。

「ハサミ、ミシン、いいもの作ろう思たら、いい道具持たないといけない」

と言って、彼は台所下を開けると、手入れされた何種類もの包丁があった。

引っ越した先で、私は入念に道具選びをしたいと思う。