2011/06/29

ムードについて思い考える

私はイエイツの詩が好きだ。
心に潤いが欲しい時、たまにイエイツの詩を紐解いて、ウットリしている。

「女に生れるということは--学校では教えて
くれないけれど--美しくなるために
苦労しなければならないということなの」

(W.B.イエイツ「アダムの呪い」より)
そうかもしれない。そうなのかもしれない。
タシケントのイケメンガイド()も、博物館の展示品の前でスルタンのハーレムの話になり、「女性は美しいものでなければなりません」と、それが真理であると疑うことも無い口調で断言していたのを思い出す。

というわけで、美しいって、何か。容姿は整っていても性根が腐っている、ということはままある。では、美しいって、何か、と思い巡らしてみる。

この頃つくづく思うのは、美しいということは、「美しいと思わせるムード」以外の何者でもないな、ということ。
形の美醜というのは「美しい」と呼ばせるためには殆ど大した意味が無い。年齢すらさほど意味が無い。「美しいと思わせるムード」をこそ、人びとは「美しい」と称賛する。
このムード、雰囲気を醸し出すことができるか否かが、美しさにおける才能ではなかろうか、と。何気にそんなことを思う、今日この頃である。

かつて「美しい国へ」をキャッチフレーズで登場したドラ息子の首相がいたが、あれなども「美しい国へ」を本当に実現させるには、やはりムードが必要だったろう。しかしもうひとつムードの中で見落としているものが多かったのか。
今更ながらわかったが、美しさに限らず、人を衝き動かすには、ムードって本当に大事だ。
大勢の人々の心を動かすムードを醸し出せる人や、表れ出たムードを上手に使いこなす人が、世の中では「強い」人だ。

人はムードに流され、騙され続けることを、様々なムードがたち表れては消える中で、飽きもせずに繰り返して生きている。ムードに流されない人を見ては変人呼ばわりし、ムードを理解しない人を見てはお話にならないと思う。

いきなり、ムードということが心に引っ掛かったのは、先頃、超老人()の語るお話の中にその言葉があったからなのだが。
私は一時流行った「空気を読む」という言葉が嫌いだった。嫌いである以前に、主体性を見失って空しくなるので苦手だった。しかし、「空気を読む」のもムードも雰囲気も、同じことだ。

私は今、私自身が醸し出すムードも、世の中を支配するムードも、掴みきれずにいる。もしかすると、この私が多少、世渡り上手に成長しようとしている、その途上なのだとしたらいいが、今、何がしかのムードの中に取り込まれていて、ムードの外観を把握するのが難しい。