2011/07/03

核・原発関連の思い

自分の過去のブログ記事を遡ってみると、核・原発関連の思いを割としたためている。
ここまで、主なものをいくつか拾ってみる。

個人的には中曽根、あいつ、議員年金いくら貰ってるねん。
それでクソ長生きして、迷惑じゃ。
その上、核処理施設の建設にやたら力を入れている、クソアホバカ。
日本は地震が多いですよ、って言っているのに、原発・核処理施設を建てたいですって、実はあいつは国を愛してないだろ。あいつこそテロリストじゃないのか?これが愛国心なら、「愛国有罪」やろ。
どうせ、放射能漏れてても、「大丈夫です」「安全です」って、またウソばっかり言うんやろ。何回もウソつくから、電力会社の言うことなんか、もう信用せえへん。
なんであいつを国は野放しにできるのか、私にはわけがわからん。

どこが「美しい国へ」やねん!
何が「美しい国へ」やねん!

オール電化なんか、絶対せえへんからな!(2007年7月19日

米国では「原爆投下は正当」だと信じている人が6割超いるのだとか。
丸出しのバカどもだ。どんなキチガイなんだろう。いや、そう言うと、キチガイに失礼だ。
多分、それらは人ではない。

その無邪気な6割の連中だけを集めた頭上に、「オッペンハイマーのおもちゃ」が降り注いだらいい。(2009年8月15日

知らされることもなく、情報は選り好みできる現在、「戦争」は日本人同士で共有できる記憶ではなくなっている。「怖いし暗いし面倒臭いし、嫌な話だから聞きたくない、知りたくない」と言えば、何も知らずに自分の好きな「明るく楽しいもの」に囲まれて生きていくことができる。

言葉はできるだけ、咀嚼しやすく、耳に心地よいものが好まれる。

「ふつうの人」は、他人の痛みは自分には痛みではないし、他人の悩みは所詮他人の悩みだし。
核弾頭も原発の放射能漏れも、自分さえその被害に遭わなければどうでもいいことで、小難しい議論を交わす力など持ち合わせていない。

「もし核爆弾が頭の上に落ちてきたら、どうする?」→「とりあえず、海外に逃げる」

今、自分が幸せになることで、精一杯。とにかく一生懸命やっていれば、誰もが幸せになれると、信じていさえすればいい。そんな彼らは、地盤を揺るがしかねない構造的な問題には決して触れようとはしない。だましだまし、要領よく立ち回って生き抜いたもの勝ちという価値観に支えられている。

こうしてみると、ある意味大勢の「ふつうの人」というのは、恐ろしい。
よくぞこの国の親や教師たちは、こんなこぢんまりと立派な「ふつうの人」を大勢育て上げた。(2010年8月10日

命のある時間は、かけがえのない、大切なものだ。
生まれ出でた誰もがそのはずだと思うが、それを加味しないウンコな輩も大勢この世界には居て、だ。

嫌だなと思うのは、そのウンコらが、「一度二度被爆したなら三度も同じこと」などと、「唯一の核被爆国」を自称するこの国を、核の実験場ぐらいにしか思わなさそうなところ。
しかしあれ、何で日本が「唯一」なんだろう。カザフスタンやウイグル、他、少なくともチェチェンとか、クラスターだけじゃなくて中性子爆弾か何か使ったんじゃないのか。ご丁寧に、築きあげられたインフラはそのままに、人間だけ殺していくやつ。(2010年8月15日

私は原子力発電にハナから反対の立場の者である。私のような一介の凡夫が、国益を考えて原子力発電について云々すること自体が滑稽極まりないと思っている。あれは、力を持ったおエラい方々が、勝手に決めて、勝手に推進して、勝手に金儲けをしていく仕組みで、私のような者は放射能で被爆する可能性こそあれ、金だけ払わされて何ら得をすることがない、根底から物騒なシロモノである。

原子力発電から出た放射性廃棄物をどうするかなんて、勝手に推進して金儲けしてこちらに損害を負わせている、テメェらでオトシマエつけやがれ。つつましく糊口をすすって生業する私は、そこまでのクソエネルギーを必要としていない。

原子力を使わなければ、現在のように便利な生活が営めなくなる、とNUMOの方は仰るが、私からすれば、そんなムダに贅沢な文化的な生活の営みをやめてしまえば済む話。結局はどんな作った便利な道具も、ゆくゆくはその奴隷になって動かざるを得なくなる、これが文化的なシステムの性だから、滅多矢鱈にそれまで無かった欲望を増幅させる新たなシステムになぞ、関わるだけ命の時間の無駄というもの。

というわけで、そんな、自分の家の近所にあったら目障りな原子力発電所の誘致なぞ、私が望むはずもない。(2010年10月5日

そして、「フクシマ」の事故後の投稿。

それでも目先の欲得で「安心・安全」を謳って原発推進に手を貸す輩はいるんだろうな、と思うと、私自身も怒りを禁じえない。(2011年3月16日

以下の点をクリアーできるなら、私は原子力発電に賛成したい。

(1)火力・水力・風力・原子力等、自分の購入する電力の発電元は、自由に選択できるようにすること。
(2)原発を推進する人々のみが、原発の周辺に住み原発の仕事に従事し、偽り無く情報を開示すること。
(3)原子力発電から出た放射性廃棄物をどうするかは、勝手に推進して金儲けしてこちらに損害を負わせている人々で、きちんとオトシマエつけること。
(4)原発以外のエネルギー源の研究と開発を推すこと。

それができないなら、脱原発。二つ目と三つ目はできないだろうから、結局は原子力発電の新規建設には反対であり、今国内で動いている原発群も、余震の危険の最中では止めてもらいたい。(2011年3月20日

こうしてみると意外と、「フクシマ」前と後と、自分の思いがブレなかった。今も変わらない。

一昨日の、精神科医の香山リカのダイヤモンド・オンラインの「原発問題で騒いでるのは適応障害のニートや引きこもり」という記事()について、ネット上のそこかしこで炎上していた。
原発問題について、私はニワカで騒いだわけでもない証拠を、ここにまとめてみた。香山リカの記事は、幾重にも思惑を読むこともできる記事ではあるが、果たして、私は彼女の言う「適応障害」だろうか。