2011/07/16

からゆきさんの映画~『女衒』『サンダカン八番娼館 望郷』

かつて、戦争をする外貨を獲得するために、外国に売られていったからゆきさんたちである。
からゆきさんを伝える記述の中に、背負った悲壮さの割りに、からっと乾ききって「あっけらかん」としている、というのを見たことがある。
先日、新聞に「ハイサイおじさん」のモデルとなった人物について明らかにされていた()が、あの歌の「あっけらかん」さも、何気に通じるところがある。

今村昌平監督の『女衒~ZEGEN』は、からゆきさんの物語をコミカルに描いている。正に「あっけらかん」…ではあるが、要所々々はきちんと押えられている。

「日本はせまか、資源も無か。大陸に発展せねば、生きられんのじゃ。その女子ども(からゆきさん)は、大陸発展の人柱となるのだ。棄てることが生かすことじゃけんな。お国のためじゃ」
「女子はお国の尖兵ぞ!国の捨て石ぞ!」
と、女子を商品をして貿易することが、国の大義にすり替えられていた事情。何の悪気も無く、悪いことを平気でやってしまう、つくづく私はヘンな国に生れてしまったと思う。女の手柄を男の手柄にすり替える、何が「古き善き日本」だろう。それは気のせいだろう、きっと。とはいえ、
「貿易されたか女子ば、いくらでもおるとです」
というぐらいだから、中には親に仕送りをするために、もしくは郷里から出たい、あるいは一旦操を売って穢れた身では、外聞が悪いので帰るに帰れないので居直った、それ以外に稼げる仕事が無い、…といった事情もあったようだ。
「うちらに客の選り好みはできなかろうが。恥と操ば捨つる気なら、世界中に恐いもんは無かけんね」

この映画は、日本人だけでなく、字幕をつけて外国人が観ても、わかり易くて、ウケも良さそうに思う。
しかしこの「あっけらかん」は、作品が1987年のバブルの頃に公開されたもののため、バブルのノリを考慮したせいだったのかもしれない。バブルの頃に観るよりも、貧しく傾きはじめている今の時代にこそと、人に薦められる作品だ。

今の時代にこそと薦められるのは、次に観た『サンダカン八番娼館 望郷』もそうだ。これは私が生まれた翌年の1974年に公開されたもの。

最近の国策にセカンドホーム・マレーシア()とかいう、退職後の商社マンや公無員、大企業等のお金持ちのマレーシア移住計画みたいなものがあるのを見て、そうして現在、原発の放射能を恐れて日本から東南アジアに移住する人々の中で、からゆきさんを知っているという人は、一体どのくらいいるのだろうか、とふと思う。
本来、そういう人こそ、そこにからゆきさんがいたということを、真摯に受け止めて、知っておくべきではないかと、思うが期待はすまい。

「男というもんは悪かもんぞ。どぎゃんよか男でも、本気でホレるもんじゃなか。本気でホレると身ばあやまるけんな。男というのはみんな同じばい。わしゃ骨身に沁みるごつわかっとる。…」
と、老からゆき・おサキさんは、幼い身でボルネオのサンダカン八番娼館に行くことになった経緯を、淡々と語り始める。
「外国さ行けば、良か着物着て、白かメシばいくらでも食えるぞ」
子どもの頃、貧しさのために売られた奉公先の娼館で、雑役の下働きをして、一年経ったら「客をとれ」と。
「嘘つき!何の仕事と言わんで連れて来たと!今になって客ばとるって、それは約束ば違うばい!」

今なお世界から人身売買国家扱いをされよう()という、この国の現状の下地は、からゆきさんとよく似ている。いや、同じかもしれない。
おサキさんがはじめて客をとった、その場面の、えもいわれぬ不快感に、私は思わず、DVDの一時停止ボタンを押して、休憩せざるを得なかった。
「わしは、男と女があれをやっとっても、よかと思うたことはいっぺんも無か」
というおサキさんのセリフに、私は何と申し訳ないほどに幸せ者なのかと思う。

この映画を観た感想が、たとえば「おサキさんの時代に生れなくてよかった。今ある自分に感謝」()とか、そんなことだけならむしろ感想として語るのは恥だと思うし、それならばまだむしろ「言葉にならない」方がいい。
しかし、受け止めたことに対して、言葉が追いついていないか、もしかすると、言葉などないのかもしれない。
語り終えたおサキさんとの別れの場面で、号泣するおサキさんの、切ない魂の振動が響いてきたのか、私も思わずもらい泣きしてしまう。…心に開いた大きな穴を、どれだけ埋めても埋めても、その穴が埋まらない、やるせない慟哭に鷲掴みにされた、とでもいうのか。しかも、その大きな穴を開けたのは、穴の開いた心の持ち主の側ではないのだ。

声なき人の声を拾った物語には価値がある。私自身がその価値が幾分わかる人間であれたことを、幸せに思う。

その声なき声の持ち主、おサキさんを演じた、往年の大女優・田中絹代のセリフがとても聞き取りやすかった。
溝口健二監督の『夜の女たち』()でも、戦後間もない頃の私娼を演じる田中絹代を観たが、思いを聞かせて欲しいところで押し黙る女の役で、しっかり聞かせるセリフが少なかったように思う。
だからこの度は、田中絹代の演技力の底力に触れたのだと思う。

最後に、ボルネオ島のサンダカンの密林にある、からゆきさんのお墓の墓標は、みんな、日本に背を向けているのだという。お国の尖兵、人柱として「棄てられた」上に国辱扱いで、その存在すら抹殺されようとしたので、逆にお国を「棄ててやった」ということか。

※関連過去記事
 闇の深さに眩暈(2009年1月13日)