2011/07/17

どこの国でも、みんなやっている(『女衒』の補足)

前回

自称国際誘拐魔・村岡伊平次について、『「娘子軍」哀史』のはじめの方に書かれていた。
村岡伊平次こそ、今村昌平監督『女衒~ZEGEN』の主役で、自伝も遺っている。
自伝の内容についてはWikipedia()を見ると、内容の真偽については誇張や自らの行為の自画自賛のような箇所も あると指摘されているらしい。恐らく今村昌平監督は、あくまでこの村岡伊平次の視点から作品を作ったのだろうと思われる。
「男なのに、女の視点で作品を作るなんてできない」
ということだったのかもしれない。あの『女衒~ZEGEN』が「あっけらかん」としていた理由は、そのあたりにもあったかもと。

実際、女衒・村岡伊平次というのは、相当酷いことをやっている。
日本の文化は「恥」の文化、とはよく聞いたが、淫売の理由が「国家の大義名分」だった、今ある日本の存在自体が羞恥プレイなのかもしれない。

とはいえ、女衒の手で売られる大和撫子を、世界のチムポが狙っていたのは事実らしく、更に、国家の大義名分でという理由を除けば、女を誘拐して淫売婦に仕立てるかどわかしの手口は、どうやら世界中どこも似たようなものらしい。

「ええべべ着せたる」
「旨いもんたらふく食える」
「毎日遊んで暮らせる」
「今よりいい稼ぎになる」
「親兄弟に仕送りできる」
「おっ、別嬪さん」…

時には何も言わず、道を普通に歩いている娘を、無理矢理かっさらって、淫売婦に仕立て上げたことも多数あったろう。
そうして、警察も楼主と癒着しているものだから、被害に遭った女性の方は逃げ道が無い。「どこの国でも、みんなやっていること」と居直るだけで、反省はありえない。女衒の手で淫売婦となった女を買う男がいる限り、買う男の方も、「売っていたから買った、何が悪い」という理屈を通そうとする。
所詮、男社会、グローバル社会の根底ににあるのはゲームのルールだけで、しかもそのルールは、作った者勝ち。

だからこそ、キャバ嬢が労組を作って団交できるようになった今の時代は、頼もしい時代になってきたと思える。

ところで、『「娘子軍」哀史』を見ていると、アメリカに大勢日本人が移民した頃の、明治二十年にアメリカの新聞に載った日本排斥の論説があった。
「日本に馬も馬車も何もなく、人間がその代役をつとめている。女は十歳にして言うをはばかる職業に従事するため、政府より免許状をもらうのだ。日本人には貞操という観念はまったくない。男と女が野獣と同様に、無茶苦茶な交合をする。こうした人間が今や無数にわが国へとやって来て、われわれ市場を堕落させ、撹乱し、そのうえ子弟はわれわれの税金をもって、公立学校で教育されるのだ。…今のうちにこの種の売春婦や、契約労働者を拒絶するのでなければ、恐るべき結果を招来するであろう」
こんな時代もあったのだ。とはいえ、これは昔の出来事であって今の出来事ではない、のではないように思う。
国家の大義名分は陰に隠れたものの、何かが何かの今とダブり、何かどこかでスパイラル。かつてこれが日本人に言われたことだと心得て吟味すると、今ある世界中の様々な事象への理解が、角度を変えて深まるように思う。

※関連過去記事
 昔に思いを馳せる(2011年7月15日)