2011/08/15

終戦記念日に思う

終戦記念日になると、よく「英霊に感謝」などと言っているのを聞くが、まるで、英霊たちに「人柱になってくれて、ありがとう」と言っているように感じられる。
慰霊は当然のことながら、きっと、大の大人であっても、あまり大切な事柄について真剣に考えられない人が「英霊」「感謝」と、不適切な言葉を並べるのだろう。
もしそうでないというなら、英霊から感謝までを繋ぐ間の言葉足らずが、誤解を招き、あまりに不憫だ。私が英霊であれば、「下らない感謝とか要らないから、私の身に起こったことを、あなたの心に刻み付けておいて欲しい」と思うことだろう。

と、私は思うが、「戦争=人殺し」という犯罪を正当化して感謝している、筋違いな狂気が、この国に蔓延している。「英霊に感謝」を述べるような人は、その自覚なく居直っている。
「戦争=人殺し」が理解できない人々が、戦没者や戦争犠牲者に対して、心から、何を祈るのだろう。そんな無意味な慰霊が、きっと長年繰り返されてきたのだ。

などといっても、もうどうでもいいことかもしれない。
じわじわ、日本終了の予感が高まっている。

日本終了まで、だましだまし、復興だ増税だ日本は復活する、などとほざいている。「本来なら大量の難民が出るところを、日本政府は“安心・安全”で食い止めた」などと欧米先進国様から褒められたいのだろう。
「がんばろう」だの何だのって、どうせ次に大きな地震がきた時の対処など、何もできていないに違いない。
身体の保身を第一に考えるなら、日本を捨てて出て行くのが世界的に見て常識だろうと思うが、私はタイタニック号の三等室の乗客みたいなもので、救命ボートに乗れない。

千葉県沖でまた大きな地震が予測されている。(
次の大きな地震は、職場にいる時ではなく、自宅でダンナと一緒の時にきてもらいたいと、夜空のお星様に祈る日々である。

※関連過去記事
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