2011/08/17

いい話を思い出す

最近、韓流どうのというヒステリックなニュースが目につくが、私は家にテレビが無いのと、姜尚中が静かに何かを深く語っている以外の韓流モノは、どうでもいいニュースとして、留めず流してしまっている。

その、韓流どうのというニュースを、取りとめもなく眺めていて、思い出した。

以前のブログ『Proletarier労働歌』()に、私は“板長”のことを書かなかった。忘れていたというか、自主規制したのだ。
板長は在日コリアンだった。ネタにすると、ヘンな人々からわけのわからない攻撃を受けかねず、時期的にも慎重に取り扱わねばならない雰囲気があったので、なんとなくブログのネタとして避けた。

20歳の頃、料理の勉強のために、ほんの数ヶ月ほど工事現場の飯場に住み込みで入った。 そこに前科者の板長がいた。
板長は婦女暴行罪で捕まったと言っていたが、本当かどうかはわからない。戦中生まれの板長は、私の親と同じ歳だった。板長は私を見て「別れた女房が連れて出て行ったワシの娘を思い出す」と言っていた。
私は板長の下で働いた、というか、足手まといだった。当初はまともに包丁も使えなかった。

私を雇った会社は「比較的安全な現場に」私をまわしたと言った。他の現場は危な過ぎて、すれていない、20歳そこそこのお嬢ちゃんを入れられないのだ、と。
板長は私に言った。「こういうところはお前には勤まらんき。おなごでも、もっと裏のあるようなのでないと無理じゃき」 と、そして板長は、食堂に集まった現場の下請けの猛者たちに大声で言い放った。

「お前さんら、このコに指一本でも触れてみ!ワシが許さんき、ワシ前科モンぞ!ワシ、やくざぞ!」

私が清いままで嫁に行けたのも、料理のできる嫁さんになれたのも、こうして板長が周りに睨みを効かせてくれたお陰だった。

板長は二世だった。板長は酔うとアリランを歌った。小学校しか出ていないと言っていたが、達筆だった。わかるハングルは「アボジ」「オモニ」「アリラン」だけだと言っていたが、ウソだろう。「アンニョンハセヨ」「キムチ」も当然知ってはいたと思うけれど。
板長のところに、よく板長の愛人が遊びに来ていた。「娘の日本国籍のために」別れた奥さんも、板長に会いに来ていた。娘さんから、手紙やプレゼントがよく届いていた。中身はカセットテープにダビングされた演歌。板長はいつもそのカセットテープを聴いていた。
板長は、愛されていた。「ワシが愛しとるからよ」と、板長は言っていた。

いい話だ。