2011/09/24

失望と絶望と交錯する希望

先頃の台風一過の好天は清清しかった。

台風の日は酷かった。暴風雨の向かい風の中、利用者宅を訪問して回った。
着る意味の無い合羽を着て、漕いでも漕いでも前に進まない自転車で、向かう先に到着する頃はすぶ濡れで、こちらの「ご機嫌いかがですか?」などのお声がけも意味を成さず、逆に利用者から「あんたこそ大丈夫か」と気を遣われる始末。

「なんでもどうでもいいのよぅ」と言って、大様に笑う農家のおバァのお宅で、使った雑巾を洗ったバケツの水を、お勝手から外の畑に向かって放ると、放った水が、何やら奇妙な木でできた農機具にぶちあたる。
その農機具とは、モースだったか柳宗悦だったかのコレクションで見たような、私にはどうやって使うのか分からないやつである。

また別の利用者で、若い時分の十年間お舅さんの介護をなさったという方が、当時手近な者で即席でこしらえたという介護用おむつの仕様を教えてくださった。

ビニールを敷いて、その上に毛糸を敷いて、更に上にサラシや浴衣などの綿の布を敷く、というもの。この、ビニールとサラシの間に毛糸を敷くというあたり、昔の人は素材の性質をよく知っていた。毛糸の撥水性ということ、そこでピンとくるという人は、今の私以下の世代では稀少だろう。

しかし、年寄りは本当にテレビしか観ない。おそろしく、テレビしか観ない。
選挙の一票を握る大多数の年寄りが、テレビしか観ない、ということ。

私は、失望と絶望と交錯する希望の塊なのだと、ふいに己に立ち返る。
ふと、亀山郁夫のプラトーノフの書評の一文が切に沁みてきた。
犠牲の観念の正当性が失われてしまえば、犠牲者のヒロイズムになんらの正当化も見出すことはできなくなる。

すべての犠牲が無に帰してしまう。そうした恐ろしい予感にとらえられたプラトーノフを新たに支配しはじめたのは、それ自体が唯一絶対の価値であるユートピアの建設がおのずと生む、あるいはそれがおのずから強いる「全体的犠牲」という観念である。

そしてその「犠牲」的観念の内実を規定していたのが、集団化は否定するものの、反体制派ないし反ユートピア主義者ではないという、曖昧にしてアンビバレンツな立場であった。プラートノフの脳裏からは、すでに一切の幻想が消えていた。

かつてコミュニズムのユートピアと夢見たひとりの熱狂者として、同時代の作家が試みた二枚舌、アイロニーの言語、「イソップの言語」とおのれの武器とすることはできなかった。

熱狂者は、熱狂を失ったあとも、そのほてりとともに生きており、冷笑によってソビエト社会のプロセスを見つめることはできなかったということである。