2011/09/27

再び、コーヒーを買いに行く

超老人()の店にコーヒーを買いに行った。
たまに超老人は自転車で配達に出掛けて、店に不在のこともあるので、出向く際には電話をして、不在でないことを確認してから行く。
大方この時期、超老人はコーヒーの買い付けにアフリカに出掛けていて留守にするそうだが、今年は現地の政情不安のために、アフリカ行きは見送ったとか。

時間と電車賃を使ってはるばる出向いて、超老人から何か一つ、面白い話が訊けたら、お得な買い物だと思う。
今日は多摩方面から来られたという、博学の熟女が数名、超老人に会いに来ており、この方たちの手土産のお菓子とともに、超老人の点てたコーヒーをいただいてきた。
女ばかり椅子に座ってコーヒーを飲んで、超老人は椅子も無く立ったままなので、私が椅子を譲ろうとすると、
「オレは軍隊で鍛えてあるから、何時間立ってたって平気なんだ。年寄りは甘やかしちゃいけねぇんだ」

これが100歳の言葉である。やはり、超老人である。

「この人(超老人)が元気なのは、この博多人形のお陰よ」
と、博学の熟女が店に鎮座する、紫の着物の博多人形を指した。
今日はそこから、超老人が戦前の若かりし頃に囲った彼女の話になった。どうも「彼女」は芸妓さんだったらしい。超老人は、この「彼女」の似姿をと、「彼女」をモデルに、わざわざ博多人形を作ってもらったそうな。
ちなみに、超老人は吉原()で遊んだことは無いそうで、「吉原?あんなところ、俺ぁ行かね」。

芸妓と娼妓は違う()。「格が違う」と、このあたりの解説は、映画『陽暉楼』()の中のセリフにあった。昔、貧しくて娘を身売りするにしても、娘の将来を案じて、筋のいい奉公先を厳選した親もいただろうことをうかがわせる。

芸妓は大体、4歳ぐらいで芸ごとの家に奉公に出されて、そこで舞や三味線の他、読み書き、躾、囲碁、将棋、短歌や俳句まで一通り身につけて一本立ちして、パトロンを見つけて、家の一軒も建ててもらうとか。

これは人身売買()の「明るい」方の側面の話。浮気は男の甲斐性とはよく言ったものだが、「内」と「外」のケジメがあった上でのことなので、芸妓の「彼女」のことも女房の方は公認で、「家内」と「妾」の役割分担が効率よくシステムとして機能していた部分をうかがわせる。
ただ、男も家内も妾も、ドライに割り切れる性分でないと、このシステムは機能しないと思った。

「芸妓一人っつったら、家一軒分、結構値が張るぜ。あんた、もし500万円やるから、オレの妾にならないか、なんて言われたらどうする?」
と超老人が言うので、私は「500万円ぐらいじゃな、うちはダンナとラブラブだからな…」と答えると、
「(ダンナさんと)情が通ってるってのは、銭いくら積んでも、難しいもんだ」
と言われた後で、「でも情なんて、お互い70歳ぐらいにもなりゃ無くなっちまうんだけどな…」などと。さあどうだろうか。

昔は男女の間に情が通うと、近松の心中物のような世界が待ち受けていたのだろうが、逆を言えば今は、お初と徳兵衛が心中しなくてもいい世の中、とも言える。
どちらが、何が良いだろうか。