2011/10/08

時空間を超える時に掛かる圧を感じる日々

汚宅から豪邸まで、自転車で色んなお宅を訪問して回っている、今日この頃。

個々の家庭で、文化の有り様は違う。スリッパを履く家、履かない家、靴下を履きなおしてからでないと上がれない家…。掃除機をバラして押入れに格納する家、バラさずに押入れに格納する家、格納せずにいつも見えるところにある家…。気さくな人、気位の高い人、プルプルの人、『博士の愛した数式』みたいな人…。各家々に上がる度に、私は時空間を超える時に掛かるような圧を感じながら、腹を括って文化の障壁を突破していく。

汚宅は言わずもがな、なぜ尿臭や便臭というのは、これほどまでに人のヤル気を削ぎ、憂鬱にしてしまうのか。何故人間が死を病を忌避するのか、それはただ痛い苦しいとだけではないのだろう。
病に死にまとわりつく悪臭。それをムンクは『屍臭』という作品(←)でシュールに描き出した。
ションベン臭ぇ惨めったらしい上に、クソにまみれて死ぬのはイヤだ。文化的な生活を営む多くの人間の、これが本音なのだと思う。
この「悪臭」の性に、命ある限り抗っていこうとするのが、文化なのかもしれない、とすら思う。臭いを消す健気な努力のために、世の中には色んなモノや方法があるのだと驚かされる。

しかし、壊されて困るような壷などの調度品を、何故家に飾るのだろう。それを飾ったところに、何故他人が足を踏み入れることを許すのだろう。たとえ何か事故で壊されても、相手を許せるぐらいの度量があるなら、ふんだんに見せびらかせばいいが、もし壊されて激怒するようならば、そこには決して他人を踏み入れさせてはならないだろうに。…と思うようなお宅もある。

あるいは、「雑巾というのは、顔が拭けるくらい綺麗でなければならない」というお宅で、「じゃあ、ホコリの積もったところは、何で拭けばいいのですか?」などと、言ってはいけないのである。
ホコリのあるところや汚れたところを雑巾で拭けば、当然雑巾は黒く汚れて、汚れの質によっては、雑巾を洗っても白くはならないこともある。汚れたところを拭く雑巾をキレイにしておくには、酷い汚れは雑巾では拭けない、私は本末転倒だと思う、しかし。
とても難しい問題ではあるが、相手の文化を、こちらは認めていかねばならない。

介護ヘルパーも、生活援助だけのお宅では家政婦と混同され易い。かつて介護ヘルパーという言葉が登場する以前は「家庭奉仕員」()と言っていた。

所変わって、みすぼらしいボロ長屋を訪問して、そこに住まう荒んだ生活者を想定するが、意外にも小ぎれいに落ち着いた室内に、思わず憧れてしまう。「清貧」とでも言うのか、ボロ長屋の赴きが、案外粋な風情を醸し出していて、妙にカッコいい。
キレイ好き、整理整頓好きというのは、老いも病も貧しさも美しく彩るものなのかもしれない、とひとつ勉強になる。


そうして、明後日出店予定なのに、忙しさにかまけて何も準備できていない。
店長ブログ更新しました。→こちら

10月10日、うちはプロポーズ記念日である。
このブログもいつしか「赤貧主婦ブログ」がテーマとなっていったが、近頃は世の中貧乏が当たり前のような風潮も無いではないので、「ダンナ様に愛されている奥様のブログ」にでも切り替えていこうか。ところがそれでは自爆することも想定されるので、テーマや路線変更というのは、常に難しい問題だと思う。