2011/10/14

悲劇は人を主役にする

眠りにつく前に、お気に入りの本を紐解くと、そこには、憂き世では叶うことがないだろう、夢みるような美しい暮らしが描かれている。
ありもしなかった欲望を増幅させようと、誰かが試みた結果、ありとあらゆるコトやモノが社会に溢れ返って、でもそれらは全く魅了してくれない。あの本の中の暮らしは、マヤカシですり替えられるものではない。

そうなると、人が目の前の現実に失望して、来世を夢見るのは当然にように思う。

どれほど抗っても、人間はいずれ神の秩序の中に組み入れられていくので、神の秩序に素直に従う者に、神は智慧の宝を授けていく。それを然りと信じて生きるのは、人としてごくごく普通のように思う。

他人に対しても自分に対しても、要求が多いと均衡が崩れ易い。
憤る人を、多くの要求を、「人にやさしい・いのちにやさしい」という傲慢さを、限られた人のための「便利で快適」ということを模索する人々を、今はとにかく忘れて、手放そう。

古い水で満たされた壷は砕けて、中身は散らばり、もう壷も中身も使い物にならない。

今はとにかく、疲れた。私は死んだ。
労力を失っても、私自身は何も失われない。しがみついていていた手を放しても、やるだけやったという実績だけは、他の誰に気付かれずとも、良かれ悪しかれ自分に残る。

「悲劇は人を主役にする」とは、誰が言ったか。
主役を張れない、私は客だ。この茶番劇に、主役があまりに多すぎる。