2011/10/24

私の心に猛毒の澱が溜まる

今朝、東京新聞の『地べたに座って40年 新橋駅前 80歳の靴磨き』という、新橋駅前の路上で40年靴磨きをしている女性の記事を見て、ダンナがいたく感動していた。
「オレもこの人に靴磨いてもらいに行こうかな。つーかオレ、磨いてもらう靴が無ぇわw」

と、うちは相変わらずの暮らしぶりである。
わが家にいたっては、夫婦円満こそが、何億もの大金を凌ぐお宝だから、泥棒も何も盗みようがない。万一盗まれるとしたら、私の貞操ぐらいだろうが、あと二年もすれば四十路に至る私をレイプするような基地外がそうそう、いるとも思えず。

私は様々な高齢者のお宅に伺っているわけだが、基本、お話を「傾聴」しているので、口には出さねど募る思いというのがある。
私が伺うお宅は、比較的恵まれた、家柄自慢、経歴自慢、孫自慢の裕福な高齢者が多い。
お話を伺う度に、どうやら私はこういった恵まれた幸せな人を相手にするのは、あまり向いていない、と。こういう方らを相手にすると、私の心に猛毒の澱が溜まるのである。

大きなお屋敷に住んで、夫は警察庁で海軍で、はたまた息子は国税庁で教員で…などと、あゝそうか、一族郎党アカ狩りして血税をかっ喰らって栄えとるのか。海軍の将校さん、ちゅうことは、どんだけ部下の命を楯にして生きさらばえとるんだ、ジさまはよ。
腐ったお国の礎のために身を粉にしてきたから、その報いは当然だと。この方々の幸せのツケを支払わされる私らなど、裕福な暮らしを営める保障など何もなく、身を粉にしているけれど。

と、裕福でご立派な方を相手にすると、かつてウソを書き連ねた職安の求人票のために、家運隆昌や子孫繁栄の機会などを失った()私なりに突っ込みどころが満載なわけだが、もちろんそんなことは思うだけで、口が裂けても言うまい。
正直、そういう方らに「私たちは散々苦労してきているから」などと言われても、ふと私が思うのは、こういった方々の「幸せ」のために犠牲になった命の数である。

人は、罪深い生き物よの。
「私たちは頑張ったからこそ、今の幸せを手に入れている」などと、では他は頑張っていないのか、そんなはずないだろう。傍目に不幸を背負っているような人生であれ、およそ、頑張って生きていない人などいないはずだが。

私は腹の底では、誰であれ何歳であれ、心から敬服できる生き様のみしか認められない。
「年寄りは甘やかしちゃいけねぇんだ」(
と、前に100歳の超老人が言っていた。私もつくづく、本当にそう思うのだった。
私も歳を重ねて老いるならば、「年寄りは甘やかしちゃいけない」と自分で言える年寄りになりたい。