2011/11/14

切ない嘘

実は瞳の大きい人は嘘つきになりやすいことが明らかに

という記事を見かけた。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』()の…丸い栗色の瞳をさらに大きく見開いて真っ直ぐ私の目を見つめるアーニャは、誠実そのものという風情だった。 というオチの文章を思い出す。

社会性のために体裁を繕わねばならず、海馬で記憶は都合よく捏造されていくものだから、まぁ、瞳が大きかろうが何だろうが、人は見かけによらん、ということだろう。

しかし、嘘にも色々あるな、と思う。
前述の『嘘つきアーニャ』の嘘は、アーニャが幸せに満たされて暮らしているだけに、関わる方としては不誠実に感じられたが、前に観た『サンダカン八番娼館 望郷』()の、老からゆき・おサキさんについて。
あの映画のおサキさんも、虚言癖があった。

旅人の圭子をつかまえて、近所の人に「倅の嫁です」なんて紹介をしたりして。
切ないのは、おサキさんが「倅の嫁さんがこんな人だったらいいなぁ」と夢みたことが、思わず口から出て嘘になってしまったのか。
近所の人も、いくらなんでもあのみすぼらしいあばら家に、都会の臭いのする嫁が訪ねて来ようものか、と見抜くに違いない、にもかかわらず。

本当のことをいえば、誰一人訪ねて来やしない、棄ておかれた老婆が、ご近所付き合いという社会性のために、そんな切ない嘘をつく。
いつも眉をひそめて陰口を叩かれている、己の惨めな境遇を一番よくわかっている、だがしかし、世の中の「ふつう」に、背伸びをして合わせる。
人と人との間にあって、ナメられたらいかん、ナメさせたらいかん。それは自分に対して眉をひそめる幸せな社会に対する「心配り」。

語るに語れないから、嘘をつく。語れば何の気なく付き合えていた人とも、そこでお別れになるのである。

関連過去記事
無自覚なウソ(2009年5月5日)