2011/11/27

実生活の共有?

最近は前髪のせいで、ダンナに「節子」と呼ばれることが多いが、その前までは「ちょすずろう」だった。なぜ私が「ちょすずろう」になったのか、そうなるまでの過程に厖大な呼び名があったため、元が定かでない。
ダンナについては「イタルヲ」「イタニコフ」「カラシニコフ」…近頃は「ケツヲ」と呼んでいる。本人からは「ケツローにしてくれ」との要望がある。

家庭内では家庭内でしか通じない言葉がある。外部の人間が聞いても、一体何を言っているのかわからない、「はぁ?」なやつ。
例えばそのひとつが、こういった家庭内でのお互いの呼び名だったりする。本来の実名の原形を留めておらず、出世魚のように時と共に変化し、「その名で呼ばれて返事ができるのは、お前だけ」と、忍者同士の合言葉のように、絆を深め合うわけである。

公の社会生活では通用しないことが、家庭の日常の中に溢れるものだろう。性癖やマザコン、虐待なんかもそうなんだろうが、それに限らず、晒したところで共有することなどできない、他人が踏み込む術を図りかねるような、他人の日常なんてそんなものだろう。

うちのダンナは、私よりもキレイ好きである。整理整頓に関しては、ダンナの方がよくできる。ダンナの周りに積まれている本や書類なんかは、必ずピシッと角が揃っている。私はそんなダンナのやっていることを見て、本や書類の角をピシッとキレイに揃えるとよい、ということを学んだ。
方や私の周りは、雑然としている。いつの間にか片付いている時は、夜中に小人がやってきて、こっそり片付けてくれているのだと思う。

そうして、小人さんをありがたがっていると、ダンナが、キンタマとチソコの間を掻いた指を、私の顔面に近づけて襲ってくるのである。まだ風呂にも入っておらず、ほどよく醗酵した臭いを鼻先に突きつけて「さあ!」と。
そうして、しばし指を立てたゾンビから私は逃げ惑い、追い回されて、しばらくして忘れた頃だと、気を緩めてはいけない。忘れた頃でも、まだ指の効力は活きていて、いつ復活するかわからないのだ。
「そんなことをするなら、ネタにしてやる!」と言うと、「ダメ!それはオレが映画監督になったときにネタに使うっ!」て、

おめーはいつ映画監督になりたかったんだ、

と。
今日はたまたまキンタマとチソコの間だったが、これが肛門だったりすることもある。
楽しい我が家である。円満なカップルの日常なんて、大方こんなものではないのかと。
ところで、Google+ が「実生活の共有」などと言っている。
 Google+、「実生活の共有」をテーマにしたCMをオンエア
11月24日、グーグルはグーグル+コマーシャルをリリースした。また、TVCMをオンエアし、グーグル+が「日常生活の共有」に近い点をユーザーに説得しようと心掛けていた。…(
しかしさすがに、指先の醗酵した臭いまでは共有できまい。これが共有できずに垂れ流される実生活など、所詮嘘八百だろうと思う。