2011/12/13

「絆」www

よくパートナー選びで「価値観の一致」というけれど、「共有する時間の中で築く価値観」というのが、私とダンナの考え方である。

それぞれの違いから、広がる世界の巾を楽しむ。私のテリトリーには無いものを、相手が持っているから、私一人では知りえない事柄を、相手から調達して、日常が広がる。

違うものの入った二つの器の中に、お互いに流し入れて満たしあって、混ざり合っていく。最初違ったものは、似たものになり、やがて分かち難いものになる。

「完全に同じもの」になることを望むより、「違いがわかる」のが大人の関係だろう。
「価値観の一致」よりも大事なのは、それぞれ相手を思いあえるか、が長く続く関係性の鍵ではないか。
さらに夫婦の場合は、他人とは共有しない部分を共有するので、夫婦独自の価値観が醸成される。

充実した人間関係の構築は、そもそもクリエイティブな作業で、はじめから一致した、レディーメイドな価値観を望むような軟弱なことでは、その先の波乱を共に乗り越えていくことは難しいと、経験が教えてくれる。ともすれば、都合が悪くなれば関係性を切り捨てて、モノのように相手を取り替え続けることを「良し」とするようになる。

「ご都合主義」。そういう考え方もひとつではあるけれど、多様性の世の中では「ご都合主義」だけが全てではない。
「雨降って地固まる」のとおり、関係を構築する過程で日の浅いうちは、相当ハデなケンカでぶつかりあってみるものである。

どこに逃げよう、どこに向かおう。
楽園はどこにあるのか。
楽園に行けるのかどうか、自分にも、ましてや他人にはわからない。
それでも私は、常に楽園に導かれ続けている。互いに変化を遂げ続ける、ダンナと共に。

今朝の朝刊の一面に、「2011年 今年の漢字」を大きく書く清水寺の坊さんの写真があった。

「絆」

説明するのが難しい、ただただはしゃぐために選ばれた、かわいそうな言葉。