2012/01/04

二年目を過ぎて

ふんどしの素材の生地を骨董市の露天に探しに行った時、着物や反物を扱う店で、数人の冷やかしのオバさんに取り囲まれた店主がいた。
丁寧に、素材の由来などを説明する店主に、明らかに買う気の無いオバさんがあれこれと質問を浴びせ、商品を触りまくるのに、ついに店主がキレた。

「買う気が無いなら触らないで!私忙しいの、他にお客さんたくさんいらっしゃるの!」

と。店主の言い分は、至極もっとも。それなのに、オバさんたちは店主の気を悪くしたなどと反省する気配はなく、ケラケラ笑っていたのである。
あれがオバさん一人だったらどうかは知らないが、複数の友達同士のオバさんが固まって冷やかしていたので、やはり人間の集団というのは恐ろしいな、と私は思いながら。

そんな光景を目の当たりにして、リアルに見えるようになってきたこと。

消費する側の大部分は、対価を支払うという発想が無く、「無料なら良い」と考えるものだということ。
それは、たとえば自分が一体何の税金をいくら納めているのか知らない、税金の成り立ちや仕組みについて全く知らない人が多いところをみても明らかで、そしてまたそれを知る気も無い、それが自分に関わることだという発想が、これまた無いものだ、ということ。

大勢の消費者は、自分にとって都合の悪いことは、思考の外側に追い出すだろう。そうすることで、幸せに浸って生きることができるから。
ニワトリが鳴く前に三度「知らない」と言うペテロを信用するのは甚だ困難。消費する者とヤクザは紙一重。

こういったことは「ふんどし屋」の肩書きを名乗りはじめたからこそ、「作り手・売り手目線」で実感を伴ってわかるようになった。
ネットショップのセールも無事終了した。対価を支払ってくれるヤクザではない購入者を、私は心からありがたいと思う。
そして、先の見通しがきかないご時世ながら、私が「ふんどしを作る」と宣言して二年目()を過ぎた今年の、一年の計を思い巡らしているところである。

現状、この国にいてふんどしなんぞを作っていても、「無料なら良い」人々を相手に対価を頂戴することも難しく、円高で海外に売るのも不利ときている。
しかしその先、どんな未来が待っているのかわからないから、私は結果や成果を急ぎたくない。
黙々とふんどしを作り続けている時間が、私の楽しいひとときなのである。その上に今年なりの発展の基盤を考えたい。