2012/01/24

東京の『原発の是非を問う住民投票の実現を目指す署名集め』が思うように数が集まっていないのは、なぜ?

東京では『原発の是非を問う住民投票の実現を目指す署名集め』が思うように数が集まっていないらしい。
同様な動きがある大阪市では署名が必要な数に達し、名簿はすでに市の選挙管理委員会に提出されているのに、東京では必要な数の半分にも届かないのが現状とか。

なぜ?



住民投票を実現するには有権者の50分の1以上の署名を集める必要があるらしい。
東京に住民票のある人は、一体何を考えているのか。そんなにも原発利権で食っている人の数が多い土地柄なのか。
誰も教えてくれないので、自分なりに憶測してみた。

 ① そんな署名を集めていることなど、知らなかった。
 ② 署名することに抵抗がある。(個人情報漏洩回避)
 ③ それ(原発)については何もわからないから、自分では判断しかねる。
 ④ 自分のことで精一杯で、それ(原発)について関わる余裕が無い。
 ⑤ 何をやってもムダだと思っているから。
 ⑥ 「原発」の話をする人と関わりたくない。
 ⑦ 大手を振って原発推進に加担したいから。
 ⑧ 住民投票で原発推進派の謀略にハメられたくないから。
 ⑨ 信仰・宗教上の理由。

一番、訴えが届きそうなのは①の人だろう。

訪問介護にも携わる身でもある、私が思うに。
訪問先で、利用者に直接署名への協力を求めるようなことは、仕事柄私はできない。利用者の多くが有権者でありながら、である。
しかし利用者の多くが、①に該当するはずである。

誰か時間のある人が、都内のデイサービスや特養などに慰問で、手品や小噺なんかを披露しに出掛けて、交流のついでにその話をする。障がい者やお年寄りの中には、確固たる理念があって、その上で「自分は原発にずっと反対だった」なんて方もいらっしゃる可能性がある。更に有権者であるプライドはあるのに、社会参画から外されることを余儀なくされて、世情とコミットできずに、しょんぼりしているような方もいらっしゃるかもしれない。

デイや特養の職員の中には、あまり利用者の不安を煽るような話題を持ち込んで欲しくない、という向きもあるだろうが、そうでない職員だっているだろう。
また、協力してくれそうな医院や病院なども、探せばあるかもしれない。

あと、伊豆諸島・小笠原などの島しょ群を忘れてはならない。
島からわざわざ署名のために出向いてくる人もいないだろうから、誰かが島に署名用紙を持って出掛けるなどしなければならないかもしれないが、あそこも高齢者がわんさか居るし、この度の被災者の受け入れもしているはずだから、あれだ。

②③④を切り崩すのは、ちょっと時間が要る。署名活動の期限が来月、2月9日までだというから、話を聞いてもらって、考えてもらって、理解を得るのは、なかなか難しいかもしれない。
難しいかもしれないが、②③④が、かなり親しい友人の場合はそうでもないかもしれない。
何と言っても、理解を得ぬまま署名だけをさせたとなれば、署名する側に利用された感が後々しこりとなって遺りかねない。やっぱり自分自身で考えて、どうするのか、どうしたいのか、決を出してもらうようにせねばならん。
⑤⑥⑦⑨は、既に答えが出ているので、可能性はかなり低い。

⑧は、私も共感するところである。といっても、私は東京都民ではない。
⑧に対しては、この住民投票の意義が真っ当なものであることを、伝えられるか否かが鍵だろう。

私は前に滋賀県にいたので、(今は凍結された)南びわ湖駅建設の賛否を問う栗東市の市長選を思い出す。建設推進派と反対派で、反対派の票が割れて推進派が勝つのを、目の当たりにした。反対派の2候補の票足すと、ダントツで反対派の得票が推進派を上回っていたにも関わらず、反対派で足の引っ張り合い。何の陰謀かと思った。

そしてこの住民投票が実現すると、「脱原発」と思っているものの「投票に行かない」人と、必死に動員かけてくる利権側の構図になりはしないか。
正直、住民投票が実現しても、このように失敗に終わった時の落胆は、目を覆わんばかりのものとなる。
これについては、どう説明してくれるのか。

ちなみに。
カザフ国民は世界ではじめて、国民的運動によって核実験場の閉鎖をおこない、核兵器廃絶、非核宣言をおこなった。
セミパラチンスク核実験場-Wikipedia
中央アジア非核兵器地帯条約-Wikipedia

この行動力の差。日本はCISにも完全に負けている。
日本の、成されるがままの国民性というか民族性なのか、「ドイツいいなぁ」などと、脱原発に成功した他所の国を羨んで移住を画策するだけで、自国に対しては参画意欲ゼロの、原発利権のつけ入りやすい、このパラサイト根性をよ。

何が仕組まれているのか、利権側のどんな有利な点が住民投票にあるかと、疑うのもやむを得ない。「信じて期待してやっぱり騙された」と、またしてもそんなことになるなら、ムダなエネルギーは使いたくないのが人情である。
住民投票実現には、そんな人のトラウマを解消させる必要もまたあるだろう。

そして、署名集めなどの活動で、過ぎ行く人々を、ただゝゞ「無関心」と一括りに責める人たちには、自分が本当に関心を持ってもらいたいこの時、なぜ関心を持ってもらえないか、考えて欲しい。
自分はこれまでちゃんと、相手に関心を払っていたかどうか。
自分の関心事が最大で、他の関心事についてはぞんざいに扱ってこなかったか。今、この瞬間も。

どこを見渡しても、頑張っていない人など一人もいない。
誰に見向きもされない己が人生に、誰もが一生懸命。