2012/02/29

国家の不利益について語らない習慣を身につける

人権的に問題があるとされるような国々のニュースを、つらつらと眺めて、私は自国の不利益については語らない習慣を身につけねばならないと思った。
自分の国について語る時は、常にポジティブに、そして他所と信頼関係を築くために、正しい歴史認識はどうしても不可欠だと、つくづく痛感した。

ところで。
今になって、ようやく大手を振って任侠・暴力団が取り締まられているわけだが。

「ヤクザっつっても、悪いヤツばっかりじゃない」(

と言われるように、善悪入り混じった、あの組織的な「絆」は、日本の根底に脈々と受け継がれる「絆」の有り様の、わかりやすい一例に過ぎないわけで。
Wikipediaにもこんなことが書いてある。
戦後に来日したニューヨーク・ポストの特派員ダレル・ベリガンは、その著作で有名な『やくざの社会』の中で「日本の家族は与太者の集まりであり、家族の長は与太者の長である」という文から始まる、日本社会の内部構造についての報告をまとめている。(
「撲滅」の掛け声の下、ヤクザを名乗る人々が淘汰されても、日本が日本である以上、「ヤクザ風」との攻防といたちごっこは続くのだろう。そうでないとすると、日本国滅亡というかたちをとることでしか、解決を図れないのかもしれない。

ヤクザの組織的悪を食い止めるには、ヤクザでない人々が、目を逸らさずに悪の細部に目を凝らして、ニラミをきかせ続けることが肝要と思うが、残念ながら「和の民族」と言われる由縁か、多くの日本人の場合、ニラミをきかせ続けられずに「仲良く」なってしまうわけだ。本当に日本人とは、何と愛くるしいものかと。
そのようにして、根源的な悪は見逃され続けるわけだ。まぁ、そのように悪と親和するのは、なにも日本だけでもないとは思うが。

しかし思うに、男の純情を汚された金色夜叉みたいなヤクザよりも、取り締まらねばならないのは、自己利益追求に熱心な「エリート」の方かもしれない。
引用すると、
「金持ちが生来的に悪人だということではないが、社会の階段を上がることによって人間も他の霊長類も、自己に関心が集中するようになる」

「上流階級の人に他人のニーズを思い出させることでこれを変えられる。自然なことではないが、これをさせるだけでも、利他的な行動を増やす効果がある」

また、以前の研究では経済学を学ぶ学生は強欲を善だと考える傾向が強いことが示された。経済学と同時に倫理学の講義を受けさせるのがよいかも…
「エリート」でヤクザで、とすると、確実に取り締まらければならないだろう。最近になって、思い出したように花魁文化の黒歴史の部分については一切触れずに、それをさも良いもののように語りはじめる懐古趣味の情報を見かけることがあるが、
公娼制の大手支持者は、自分の娘が絶対に被害者になり得ない富めるもの
ということを考えると、わかりやすい「キヨメ」のヤクザよりも、こちらの方を取り締まらない限り、犯罪被害者救出・支援も濡れ手に泡で、ひたむきな人や一生懸命な人、それでいてマジメな人なんかが、うまいことソンする仕組みになっているという。

こういった人間の「絆」によって結ばれた、殺人システムともいうべき社会そのものの暴力によって無化された、刈り取られるだけの植物のようにか弱い人々が群れなして、のたくりまわっているという、まぁ、どこもかしこも、人間ちゅうのは、「誰か」にとっては素晴らしいもんですわ。「誰」にとってかは知らんが。

この、「誰」が取り締まられないなら、あれだ。

 ※関連過去記事 日本のメキシコ化を感じつつ(2012年2月5日)