2012/04/08

手書きの手紙

「ちょっと帰りがけに、このハガキをポストに投函してくださる?」
と利用者に言われて、あずかったハガキはお孫さんに宛てたもの。
「私も古い人間だから、こんなハガキ書いちゃって…」
と仰るが、実は私も先頃、コンテストで入賞した旨()を、職業訓練校でお世話になった先生に、PCで文面をしたためて郵送したところ、先生からは便箋に手書きで二枚、びっしりと、丁寧なお返事をいただいた。筆まめな先生だと思う。(
受賞をともに喜んでくださりつつ、

ネクタイの良し悪しは、垂らしてみて、ねじれないことが大切です。良い仕立てとそうでないものはすぐわかります。…

と、お知らせしなければ得られなかった豆知識まで。

今の時代、メールがあるから、用件だけをメールにしたためて、ちゃちゃっと送ってしまえば、それで事足りるように思うのだが、私は案外、このアナクロいひと手間の大切さに気づかされた。

親しい仲にも礼儀とは言うが、暑苦しくない、「心」とでもいうのか、何かがきちんと伝わる距離感があるものだ。
メールでは、この何かはなかなか伝わらない。よくよく考えれば、全ての用件を「急ぎ」で片付ける必要はないわけで、文面の内容だけが肝要、ということはないのだ。

なんだろう、これは。
この何かは「心」なのか、「風」なのか、「息づかい」なのか、「気」なのか。

思い出す、高校生の時にずっと友だちと交換日記をしていたこと。
お互いに共通の友人を橋渡しにして、高校時代の三年間、一度も会ったことのない他校のYちゃん()と、濃い思春期の悩みや恥ずかしい文面とお絵描き自慢の交換日記を、絶えることなく、まぁよく続いたものだ。
今の時代なら、面倒臭くてやってられないのかもしれないし、すぐに返信が来ないでイライラしたりするのかもしれない。ヘンに近過ぎるんだろう。

時代の流れのなかで、ゆくゆくは切り捨てられてしまう、この何かが、少し前の時代にはまだ通い合えたことを、私自身が置き去りにして生きている。
そうすることで楽になった部分もあるといえば、ある。でも、失ったものを後悔する機会が、この後あるだろうか。
後悔する時間があるほどに生き永らえていれば、そういうこともあるのかもしれないな。