2012/09/08

"自称詩人"はじめます



と、ACTAはあっさり衆議院で可決されたらしいので、宣言どおり、自称詩人になることにしました。↓


ゆくゆくは、魂をちぎって投げる、世界に肉薄する詩人を志したいものであるが、まぁ、このタイトルからしてあからさまにふざけているわけで。

一応、「poemer」とは和製英語だと、検索すると出てきます。
で、「poemer」を自称する頼もしい人たちはいるのか、と検索すると、案外おられるようで。
正しい英語の「poet」の方で検索しても、あまり面白味がなかったので、やはり、ここは「poemer」でいくことにしました。

海外で、詩人の地位が高いということを、しばしば耳にします。何故日本で詩人は、軽蔑されこそすれ、さほど認められる存在ではないのか、もうちょっと国語に精通した人に、詳しくそのことを聞きたいところですが、ひとつは日本では、詩人ではなく、「歌人」の方に地位が既にあったからだろうか、と。

それと、海外で詩人の地位が高い理由は、海外の詩人は、一遍の詩を書くのも「命懸け」だった事情もあったのだろう、と推測するわけです。

旋律に乗せて歌われる詩、ということを考えると、日本でもそれなりにスゴイのがあるにはあるけれど、旋律と歌以上に、その詩を書いた人自体が大いに注目される、ということがあまり無いかもしれない。

そうして考えていくと、もうちょっと深く、「詩とは何か」について知りたくなってきます。

ところで、何を言えば、「安心・安全」ではないのだろう。利権によって規制の対象とされる表現とは、一体どういった類のものなのだろう。

余程、社会を扇動する力を持ったものを表さない限り、危険が及ぶものか、どうか。それなりに責任ある地位や役職のある人は、気を使わなければ、危険に晒すことも晒されることもあるだろうけれど、私に関しては、ことの成り行きを眺めてみないことには、まだ鼻息を荒げることはできないな、というのが正直なところ。

しかしそう考えると、ふと、明らかに社会の「構成員」どころか、「部外者」な立場である自分を、改めて思い知って、私の心に吹く風は、いよいよ秋へと深まるのを感じる、今日この頃であります。

※関連過去記事
タシケント・ヘタレ旅④~詩人が誰よりも偉い国(2011年3月30日)
タシケント・ヘタレ旅⑤~新郎新婦も婚礼衣装で訪れる抑圧犠牲者博物館(2011年3月30日)
再び治安維持法の時代を想定して(2012年8月8日)